新しい世界観に扉が開けられた

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今日はアパートのビルの隣にある芝生のど真ん中の小道を見つめていました。そうしたら、人間の道、言い換えると、人生の道って、真っすぐの線形ではないことに気づきました。その思考のある人も当然いますが、真っすぐな道だと考えると周りの物事に気付けなくなってしまうことがあります。真っすぐではないと、広くて永遠に続くのではないかと思いました。というのは、様々なプロセス、人間を見ている我々の視野、何もかもが全体の一部です。そうすると、どうなるのか。

例えば、見捨てられた牧草地を想像してみました。そこには、数えきれないほど花々があって、植物の種類も多様ですね。それを全体的に見ると、美しいし、個々のそれぞれの花もきれいです。そこで、一つの花に集中しても、どれほど夢中になっても、芝生の成り立ち、働きは分かるわけがないと思います。けれど、全体を見てみたら、その中身のすべての相互関連性に気づくことが出来ます。私は芝生だけを見つめているわけではなかったけど、世界と何もかもをホリスティックを見るとそのなかの物事の間に相互関連があると把握出来ました。

このような思考が流れていた時、私はちょうど自転車に乗っていたので、頭の中のことをすぐにメモ出来ませんでした。従って、その瞬間に思考の流れを今全部思いだせる自信はありませんが、覚えていることを書いてみます。

では、私は相互関連性があると分かったら、次にどういうことを考えたのかを説明してみます。

世界中には様々な科学がありますね。通常科学はある分野を中心に研究や調査を行っています。けれど、人間の身体の仕組みみたいに、例えば一つの筋肉だけに注目すると、体全身の働きが分かるわけはありません。または、病気の症状だけに集中すると、その病気の全ての要素を見過ごしてしまいます。従って、それぞれの現象を一方的に見ると、どれほど研究や観察をしても本当の理解までに導かれることはないと個人的に思います。もう一つ、興味深いと思ったことは、それぞれの定義、特に人文科学の中で、その相互関連性(すべての物事が繋がっていること)があるため、的確ではありません。そこで、それぞれの現象に限界(限定的な定義)をつけようとしても時間の無駄遣いだと思います。だから、私にとって今日の思考がどういう学びを起こしたかというと、毎日見ているすべての物事、出来事には繋がりがあるということでした。自転車に乗っていた私が具体的にそれをどう感じたかは言葉で説明しようとしても完全には出来ません。

言葉にすると、

 周りにいた人々を他人として捉えるのではなく、皆が身近な生き物だと感じ始めました。入ったことのない部屋に入るときにドアを開けると空間が広がります。それと同じような新鮮な気持ちで、同様人間に関して同情が湧いて


きました。皆がまるで家族のようです。心が開いたような感じになりました。その後は、目の前の景色、例外なくそのすべてが美しいと感じました。

 

という経験でした。この状態はまだ続いていました。外側から見たら、別に変わりはないけどね。けれど、内面には変化がありました。その変化によって私にとって世界観が変わりました。