孤独さを全体的に感じてみたら

孤独さって、人が周辺にいてくれても、感じられるのだ。誰にでもありえる感情だと思う。以後は、自分の経験に基づいたことについて話す。


孤独さは、中身の不安定を示している。その不安定があるため、我々が様々な物事に依存する、あるいは、執着するようになってしまう。例えば、家族の関係性がとってもよくないのに、そこにちょっとした安全感があるから、我慢しながら実家に残ってしまう。彼氏や彼女と一緒にいて苦しいけど、独りぼっちになるのが怖くてその人から離れられない。喜びや幸せのような、世間ではプラスのイメージのある気持ちへの志向のせいで、我々がいわゆるマイナスのイメージのある気持ちを抑えたり、見ないふりをしたり、その存在を否定したり、気を紛らすため、時間つぶしに何でもやったりする。両方共が同時に共存しているのは当然だけど。


私も孤独さがどれだけ偉大な気持ちになれるのかを今経験しつつある。ただし、その気持ちが自由に「動ける」ようにしたのはつい最近だ。それで身体があまり心地がいい状態じゃないけれど、抑えるよりよっぽどメンタルにいいわけだ。そこが大事になる。孤独さに全体の注意を向けてみると、これまで気づかなかったことがほとばしる。様々な質問に向き合った。

自分にとって必要な瞬間に、安全を与えてくれる人間や物事が側に居ないと苦しいわけだ。しかし、物事は無常だし、人もそれぞれ自分のペースの物だし。

その時に「一人でいられるの?」「自分で楽しく時間を過ごせるの」?


その孤独さと一緒に座ってみた。次が独り言…


「自分のことを大切にするということは、自分が他の人に劣らないということだ。自分と共に遊ぶ。そして、他の誰かが遊びに参加する必要性がないこと。 それと同時に満足感。「生命」という奇跡的なモノのルールを自分で書く。他人の物語は、本物であろうが架空のものであろうが、単なる物語に過ぎない。なぜなら、自分自身が体験したことでも、感じたことでもないので、他人の口から飛び出る言葉の裏に何が存しているのかを知ることは出来ないというわけ。その物語が自分にとって適切ではないかも。」


このようなことを理解したら、何も必要ないことに気づき、ただ勇気から手綱を取り、道を歩むだけだ。

 

f:id:My_ego_talking:20200527035948j:plain

最初の一歩:バナナパンを焼けた~!

f:id:My_ego_talking:20200527035940j:plain