【一人で沈思黙考】気持ちの残像

)気持ちって、バスを乗ってる感じと同じようじゃないか?

バスに乗る。席に座る。発車。
車輪が走り出すと、窓ガラスの外を見る。
目の前の景色、そこにある物が、乗り物のスピードと共に、
懐中電灯の光のように過ぎ去って行く景色は狂い絵の具の絵画に見える。
歪に過ぎなくなる。
本当に見る影もない。
景色にある真理を承認/認識できない。

窓ガラスの外の景色に興味がない人はずっとそのまま乗って行く。
それより大事なことがあるかしら。
そこに車窓があって、外があることを知らないのかな
私も知らなかったの。
いつか、そこには何があるだろうと思い浮かんだ。

バスなら、バス停もないといけないでしょうね。
降りて、またそこから乗れる人もいるよね。
知りたくて座るのを我慢できなくて、
一大決心で気になったバス停で降りた!
計画などなく、知らないところで降りて、
考えれば考えるほど、頭が考えでいっぱいになってしまった。
とりあえず、そこにただただ居てみよう。深呼吸。
動かなくていいから、見つめてみよう。目を閉じよう。
目の前にある物事に自分のすべてで耳を澄ましてみよう。
感じよう。すると、自然に落ち着いてくる。

初めて経験していることだから、怖くなることもある。
自分がまだいるって確認したら、直面しているものに
アイディアを付けず、ただ全身で感じる。
様々なことが出てくるかもしれない。
映画を見てるようにポーズせず、放っとく。手放す。
すると、気になってたことがいなくなる。
沈黙に気づく。実はずっとそこにあったね。

綺麗!

美しい。





もう大丈夫だとなったら、次のバスに乗ればいい。

第二日目

閉鎖から7日目

感染者:414人

死亡者:2人                             3月22日

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目が覚めたら、目の前にある鉢の植物が揺れていました。私は即座に起きて、両親の部屋に走り出しました。両親、特にお母さんが、目を見張っていて、無言。私は日本に行くことがあって、地震というのはもう当たり前のことで慣れていました。スロベニアでは地震が数年間一回起こる現象で、揺れても災害になることは滅多にありません。「どうしようかと思って。ドアのところか、外に走り出そうかと考えてた!地震って恐ろしいものだ!」とお母さんが鳥肌が立った腕を撫でながら言いました。私が微笑みながら、安心してと言った時、地震波がまた家を揺らしました。その地震震源地はクロアチアザグレブ市で、最初がマグニチュード5.3で、その次が5の揺れを起こしました。

少し落ち着いてきたら、なんてこった、外には雪が降っていました!お母さんが、「世界の終わりだと」言いました。私は笑いながら窓の外を見ると、早めに咲くさくらんぼの木が咲きながら、桜の花びらのかわりに、空から雪花がちらちらと辺りを白く染めていました。今日は不思議な日だなと密かに考えました。

最初の週はそうじゃなかったかもしれませんが、2週間目になるとどんどんコロナが自分の存在を示していました。

最初にドキッとなったのは 、近くにある山に登った時に山を下ってきた人から距離をとって歩こうと思ったら、お父さんに「風が吹いてる側に歩きなさい」と断固した声で言われました。あの人達が感染者だったら、風が私達の方向にウイルスを運ばないためだと説明してくれました。そういうことは考えもしませんでした。

また、コロナの影響を強く感じたのは、お店に行く時です。うちはマスクを2枚しか持っていない、布の1枚(安全性が低い)とP3のマスク(かなり安全性が高い)です。だから、最大2人で買い物をしています。前の週(閉鎖の初日)に地元のお店で私達がマスクをつけていたら笑われましたが、今は多くの人が様々なタイプのマスク(ブドウの木を散布する時に使う)やマフラーを使って口と鼻を隠していました。全国ニュース番組では日ごとにコロナに関する情報が更新されて、何を信じればいいかどうか判断するのが難しくなりまして。歩くのが不自由なおばあちゃんは外にも行けないので、彼女の行動範囲は寝室から、台所とリビングルームを通してバルコニーまでです。故に、テレビも一日中に付けっぱなしです。一日にニュースが5回放送されますが、それを恐らく一つを覗いて全部を観ています。「他人の目を見つめたら、移るよ」や「携帯で話すと映るよ」というような情報満載で勘違いも口にしました。怖がっているおばあちゃんが判断なしにほぼ全部信じています。安心して危険がないと思っている私達にとってリスクが高いグループに属するおばあちゃんの気持ち、恐怖を知らないわけです。だから、おばあちゃんの気持ちを安心させるためにあまり無理のない対策は家族でやり始めました。例えば、果物を買ったら、家で全部をしっかり洗うこと、ビニール袋を帰ったらすぐ捨てる、品物を全部消毒する、着ていた服を消毒するかすぐに外に置いておく、大きいデパートには必要がなければ行かないというような対策です。大げさというのもあると思いますが。それで、お店に行くことが特命になりました。最初は家を出ることが喜びで胸を膨らませましたが、毎回買い物から帰っておばあちゃんに近づく時に、私が不安な気持ちで溢れることに気づいたので、必要じゃない時にはお店に行くのを避けることにしました。

私は個人的に、テレビで放送されている情報は、まれな機会の例外を除いて、いい気持ちより、恐怖、パニック、欲求不満などを与えるという気がしてきました。人は考えを再起動も出来ません。ニュースの伝え方を少し変更させられないのだろうかと思います。イタリアでは101歳のおばあさんがコロナが治ったそうです。肯定的(ポジティブ)な情報があふれているのも嘘の希望を持たせられるのはよくないと思いますが、恐怖を引き起こすことよりポジティブな思考(positive thinking)が体に良い影響をもたらすと思います。

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雪に染められた辺り

 

第1日目

閉鎖から6日目

感染者:383人

死亡者:0                              3月21日

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今日は時間がたっぷりあると思い、お天道様の下でヨガをすることにしました。コロナで家に閉じ込められている人は多いと思うけど、ド田舎の私たちは少し運がよくて、外出してもほとんど人に会わない環境に住んでいます(50人も超えない村)。それで、どういうことに気づいたのだろう~!

寝転がるポーズ。靴下の布を通した風が、私の足の感覚を目覚めさせました。靴下を脱いだら、素足から頬っぺたまで風に撫でられました。気持ちいいなぁ。

木々の枝が風に動かされ、兄弟喧嘩のようです。下から上に見たら、木に見下ろされている気持ちになりました。考えてみると、猫たち、あるいは、もっと小さいアリたちの視界は私たち人間とずいぶん違いますね。動物や植物は、もしかしたら私たちの知らないことをたくさん知っているかもしれません。それなのに人間って、この世のすべてを知っているかのうような態度が多いなという気がします。物事が変わりつつあるし、日ごとに新しいことを発見しているのに、得られるデータをそのまま信じる人が多いのではないのでしょうか。もしかすると、我々が見ている世界は本当は真実のほんの少しかもしれませんね…

木の枝にまだくっついていた枯れ葉は続々と舞い降りて落ちています。それを目で追おうとしたら、青空に目を奪われました。綺麗な青だなと思ったすぐ後、飛行機が全く飛んでいないことに気づきました。そうだ、コロナに関する政令で空の便が遮断になったのです。それと工場の停止で大気汚染が減るのか、動物たちが少しリラックスできるのか、人間が自分の行動を考え直して世界の生き物が共生することが人間にとっても動物たちにと為になることだのではないでしょうか。日常生活の当り前さがそんなに当たり前じゃないことに気づくのではないでしょうか。私も4月に日本に行けなくなったことを思いだしてため息が出ました。あっ、今ヨガの最中だ、すっかりに考えにふけってしまいました。

座るポーズ。あら、お尻の下が凸凹。ヨガマットを上げると、土の小さな山、モグラ塚!モグラ自体はいないから、大丈夫だろうと思いながら、ヨガマットを少し動かしました。次は、瞑想ですね。目を閉じて落ち着こうとしたら、いきなりのこぎりの音が耳に入りました。よーし、これはいい練習です。集中しよう!また落ち着こうとしたら、葉のざわめき、枝のザワザワ、ミツバチがぶんぶんいっている音、猫がニャーって背中に体を擦り寄せ始め、お隣さんがやっとこさ木を切って、倒れた木の重さを感じ取りました。自然に恵まれていると知っていますが、これは呼吸に集中しにくいです。昔のインド人がヨガマットも存在しなかったときに外でヨガをして瞑想できたのでしょうか。それとも、私は集中力が足りないのでしょうか。イライラの原因になった自然の音が私の学びになるという気がします。

 

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雛菊が多い

 

新型コロナ危機

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私の家の一つの角度からの景色

2020年3月4日、スロベニアで最初の感染者が出ました。それはお医者さんでした。その上、そのお医者さんは訪問診療も行なっていて、いくつもの家を訪問していましたしかし、新型コロナウイルスは症状が出るまでに時間がかかります。この方は自分が感染したことに気づかず、そのまま患者さんと接しました。

コロナの感染が確認された後、スロベニアがこの方が接触していた人のネットワークを検索しはじめました。しかし、遅すぎて、雨の後の筍のように次々と感染者が出始めました。それで、政府は感染者を探すのを止め、症状が悪くなれば、お医者さんや新型コロナウイルスに関する情報を提供している電話番号に連絡するよう指示を出しました。


その後、

3月7日、スロベニアの保健大臣の会見で500人以上の公共イベントでの集会が禁止になりました。

3月16日に、スロベニアが閉鎖の状態に入りました。お店は、スーパー、薬局、郵便局、銀行以外、全面的に閉店になりました。

その後、日ごとに政令は更新されています。空の便の遮断(3月17日)、5人以上の集まりもだめになりました(3月18日)。

3月22日には公園にも入り浸ると罰金をとられるようになってしまいました。

3月30日からもっと厳しい政令が出ました。特定の例外を除いて、自治体外への移動が禁止されたのです。全部を自分の目で見て、映画や夢の中にいるんじゃないかと感じました。


日常生活が大きく影響されたにもかかわらず、変わった形で続いています。

私の家はもう少しで90歳になるおばあちゃんと一緒に暮らしています。私は丈夫な身体を持っているかもしれないけれど、彼女はそうではありません。ですから、閉鎖になってから、必要じゃない時には外に出ないし、出たらマスクをつけて、手や食材をちゃんと消毒するのに気をつけることを家族と額を寄せ合って決心しました。田舎に住んでいて森や外に出られるのはとても幸運なことだということを今回こそ強く感じました。

ネット時代のソーシャルネットワークが今こそ騒いでいます。情報や投稿の激増で頭の中で世界がぐるぐる回わってしまいました。6日目ぐらいで、テレビや映画が詰まらなくなってきたし、家の中はギスギスしてきたし、やることがない時に食欲がそそられて、お腹が空いていないのに食べてしまうのも嫌だなぁ~!


そういうわけで、


一週間だけでもデジタルデトックスにしましょようと決心しました。メールには答えないといけないのもあるので、一日1回か2回ぐらいそれを確認することにしました。それで何が起こるかを一週間ぐらい書いてみようと思います。ですので、毎日その日の気づきについて自分自身の視点から書くつもりです。

 

 

 

過去に書いたもの

最近は実家の部屋の大掃除をし、次のが書いてある紙を見つけました:

 

「人は、本当は消えないもの。

そもそも消えたくもないんだもん。

どんなに辛い想いがあっても、

そこでいい思い出もあるはず。

少なくとも、何かの学びがある!

 

"元カレめっちゃ好きだったのに、

何でうまく行かなかったの~?"

その質問がちょっと違います。

何で、自分のことをすっぱり忘れてしまう程

好きになったのか?

そんな必死に自分のことを忘れようとして、

本当の自分と向き合うのが怖いのか?

 

"私、あなたを幸せに出来ないのだ。"

と初めて聞いた時に、私のレゴで創られた

お城がたった一瞬で崩れました。

私に知らないディズニー愛が霧の中に消えられました。

これまで生きてきて感じた愛だと思った偽物って何なのか!

 

愛って何?誰か教えてくれませんか。教えて~!

お願いだから。愛されたい!

 

それが色々疑い始めた最初の一歩でした。

私にとって、それが福島災害のようでした。

その時から、自分の足で立てるようになるまではまだまだです。

子供のようだけど、子供は皆、いつかは走れるようになります。」

 

ということでした。懐かしいなぁと思いました。本当にそうなりました。

今は自分の足で歩けるようになりましたが、何かに躓く時に杖などを使って、何度も立ちあがります。

                   

 

                 (笑)

 

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上を向いて歩こう~!

 

 

死と命

イギリスを出る前の最後の数日間、私の夜と日は恐怖と不安でいっぱいでした。新型コロナウイルス。最初は大丈夫でしたが、友人や家族からの毎日の警告とニュースは私を非常に不快にさせました。ウイルスが出現したエリアを通過することについて考えたら...友人が私に尋ねました:「あなたは何を恐れていますか?」驚いたことに、自分でも答えを知らなかったので、答える前に考えなければなりませんでした。 「私は、死ぬこと、自分が想像した未来が叶わないこと、完全に消えることを恐れています。」それを口にしたら自分自身に微笑んで、熟考し続けました。死ぬことはそんなに簡単なことです。物理的に消えます。それが私の心胆を寒からしめました。私が地球の表面から消える可能性は、そんなに突然でありえますか?接触を避けようとも考えましたが、同時に、フライトがキャンセルされない場合、すべてが順調に進む場合は...この道を歩きます。私は何が起こっても大丈夫だと確信しており、恐れに立ち向かい、それについてパニックにならないようにします。

それは私が人間の人生がいかに脆弱であるかを考えさせました。 好きなものに関する見方が一瞬で変わります。 私がしがみついて、私が一生懸命に働いてきたものは、無意味になります。 この瞬間にはこれらは助けにはなりません。 お金と呼ばれる紙も、まだ存在しない薬を買うことができませんし。 過去の私の人生を振り返りました。 私は今までどのように生きてきましたか。私たちは、それらをあの世に連れて行くかのように、私たちがしがみついている「富」に制約されています。 このしがみつきがなければ、私たちはどんなに自由になれるでしょう。 終わりのない欲望によって口述されている即時の満足よりも何が重要なのかと思いました。

新型コロナウイルス、飛行機の故障、自動車事故など、多くの手段があることがわかりました。しかし、私はこの瞬間に恐怖に屈しないと決めました。

 

In the last few days before leaving the UK, my nights and days were filled with fear and anxiety. Coronavirus. At first I was fine, but the daily warnings from my loved ones and the news made me very uncomfortable. The thought of going through the area where the virus appeared ... A friend asked me: "What are you afraid of?" Surprised, I had to think before answering, as I didn't know the answer myself. "I'm afraid of dying, of not experiencing a futute I imagined for myself, of disappearing completely." I smiled to myself and continued pondering. How easy it is to die. Physically disappear. And that made my blood run cold. Can the possibility of me disappearing from the face of the Earth be so sudden? I contemplated to avoid any contact, but at the same time, if the flight is not canceled, if everything goes smoothly ... I will go this route. I am convinced that I will be okay no matter what happens and try to face the fears and avoid panicing about it.

It made me think about how fragile human life is. The way you look at things you love, changes in an instant. The things that I cling to, for which I have been working so hard for, become meaningless. They don't help in these moments. With paper called money, I still can't buy a medicine that doesn't exist. I looked back on the past. How have I lived till now. How we are constrained by the "riches" that we cling to as if we would take them with us to the other world. What freedom would we have without this clinging. I was wondering  what is more important than the instant gratification that is being dictated by unending lust.

I found out whether the coronavirus, or the failure of the plane, or the car accident, there are many means, but I decided that fear would not aggravate me at this exact moment.

エピソード2:笑い話(実話に基づいている)

 

真夜中の30分前

(お寺の会館)

 

2019年の最後のお祈り。隅にじっとする僧のシルエットに気づいた。彼は高い地位の侮りがたいお坊さんであるように見えた。人々が会館にたがり始めた。寄木細工のボキボキ゚(パチパチ)、コートのガサガサ、重い扉のきしみ、人の口を通す風。彼はじっとしている。お祈りが始まる。会館には活気に満ちた調和が漂っている。彼の下向きの手は膝の上に置いてあり、足はあぐらで挟み込んだ。それらの上には、チベットの伝統によると「知恵を受け取る」ための白いスカーフが置いてある。彼はじっとしている。彼の居眠りや体の動きを垣間見るために目を凝らした。彼はじっとしている。うわー、これは本当のマスターだと心に思った。彼は物事の騒ぎ、言葉の音、歌のメロディーに気を取られなかった。まぁ、彼が東京の真ん中にいても、彼穏やかだろう。足を上下左右に動かしている私に対して、彼はじっとしている。あっという間に、時計は真夜中を打った。華やかさなし。未知の女性からの暖かい抱擁が私の左で待っていた。しかし、彼は動じっとしている。彼の存在に注意を向けられたので、私は会館にもう少し残ることにした。その後、金髪の女性はさりげなく会館の真ん中に踏み込んで(これは修道士専用だと思っていた)、彼の手に触れた!とんでもない!!

 

初日に出会った友人が私に近づき、「見て、彼女が彼に触れた!」という文で息を吐く前でさえ、彼女は私に言った:

彫像だよ!」

 

… 

 

 

「へぇぇぇぇ」って自分の耳を信じられなかった。私が本当のマスターだと見つめていた僧は実は彫像だったのだ。怒りは私をあふれさせ、可笑しくて仕方がなかった彫像がどれほど現実的で、私がその彫像がそこにあったことにどれほど興奮していたか信じられなかった。私の教訓:何かに対する信念は、私たちの特定の感情をかき立てることができる。面白い!

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あんぐりにゃんこ

 続き~